大好きな建築家 ヴォーリズについて
2025年09月06日
8月はテーマを決めて「出勤日は毎日ブログ更新」の目標達成できました✨
しかし、、、
9月に入ってはや6日。
9月のブログは今日が初です😌
今日は建築物大好きになったきっかけをくれた建築家について語ります✨
ヴォーリズってご存知ですか?
私の中では建築家であり、実際そう呼ばれることが多いです。
英語教師として来日し、伝道者として活動し、建築設計をし、会社を興し、薬を売り、讃美歌を作り、オルガンを広めた人。
肩書きが多すぎて、何が本業かわからなくなっちゃいます😅
でも、どれも根底に「人のために何かをしたい」があるんです。
例えば、ヴォーリズ建築。
光の入り方、風の抜け方、階段の幅、手すりの高さ、窓の位置、、、
どれも、誰かのことを考えているのがよくわかります。
(建築物のご紹介もこれから追々掲載していきますので詳細はその都度書きます)
ヴォーリズという人についても、少々ご紹介します🤗
アメリカ生まれで、日本に渡ってきたのが1905年。
滋賀県の八幡商業学校で英語を教えながら、放課後に聖書研究会を開いていたら、仏教界から反発を受けて2年で解任されました。
でもそこで諦めず、自分たちが暮らすための場所が必要だから自前でYMCA会館を建てて伝道を続けました。
そして資金が必要だから独学で建築設計を始めました。必要だからやった行動が建築家としてのスタート地点みたいですね😊
実は、アメリカでは建築学を志していた時期もありました。
マサチューセッツ工科大学(MIT)への進学が決まっていたけれど、家庭の事情でコロラド・カレッジに進学し、建築ではなく哲学を専攻しました。
だから、正式な建築教育は受けていないし、建築家としての資格も生涯持っていなかったんです。
彼は設計図を自分で描いていたわけではありません。
建築事務所には技術者たちがいて、彼の語る空間のイメージや人への配慮を受け取って、図面に落とし込んでいました。
思想と技術の分業により、住む人の暮らしやすさが何より反映された家が出来上がったのかもしれません。
近江兄弟社を創立したときの給料体系も、ちょっと変わっていました。
一般的な企業のように役職や能力で差をつけるのではなく、家族の人数によって調整されていたと言われています。
経営者としては批判もあったと思うけれど、ヴォーリズらしいなと思います。彼にとって大事なのは上下関係よりも、仲間意識。
逸話としては、終戦直後にマッカーサーと近衛文麿の仲介をしたという話もあります。
真偽は不明ですが社会的に貢献した人物であることは間違いないと思います。
ちなみに、彼は日本に帰化して「一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)」と名乗っでます。
「米国より来りて留まる」という意味です。名前にまで意思が込められているところが、ちょっと面白いですね。
まだまだ書きたいことがいっぱいあるので次回に続きます😌
なお、ここで書いたことは、以前読んだ小説や見学の際のパンフレット、ガイドさんの説明、インターネットで見かけた情報などをもとに記載しており、事実と異なる部分があるかもしれません。
あくまで個人の記憶や印象に基づくものであり、正確な情報については各資料や関係機関の公式発表をご参照ください。
