ヴォーリズ記念館
2025年09月19日
今回は、滋賀県近江八幡市にあるヴォーリズ記念館をご紹介します。
建てられたのは1931年(昭和6年)。
W.M.ヴォーリズと妻・満喜子さんが暮らした住宅で、ヴォーリズ自身の設計による建物です。
もともとはヴォーリズ夫妻の自邸として計画されたものではなく、近江ミッションの職員が集まるための施設として建てられましたが、完成後に計画が変更され、ヴォーリズ夫妻の住まいとなります。
数多くの住宅を手がけたヴォーリズが、自ら暮らした家です。
外観は、白い壁に赤い瓦屋根。玄関を入ると、居間を中心に食堂などが配置されています。
居間には暖炉があり、その上にはヴォーリズが好んだ聖書の言葉が掲げられています。
「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし」
新約聖書「ヨハネによる福音書」の一節です。
室内には夫妻が使用していた家具やピアノなども残されています。
建物だけを保存した住宅ではなく、ヴォーリズ夫妻が暮らしていた頃を伝える品々も一緒に見ることができます。
ヴォーリズ記念館には、ヴォーリズが設計した建物の写真や資料も展示されています。
学校、教会、病院、住宅、百貨店。近江八幡だけでなく、日本各地に残る建物へとつながっていきます。
その資料が展示されている場所自体も、ヴォーリズが設計し、自ら暮らした建物です。
設計図や写真だけでは分からない住宅の大きさや天井の高さ、窓の位置、部屋同士のつながりは、実際の空間として残っています。
この家でヴォーリズとともに暮らしたのが、一柳満喜子さんです。
華族・一柳家に生まれ、アメリカへ留学、帰国後、ヴォーリズと結婚しました。
満喜子さんは教育活動に携わり、ヴォーリズとともに近江兄弟社の活動を支えています。
夫妻には子どもがいませんでしたが、自宅には多くの人が訪れました。
ヴォーリズ記念館に残る食堂や居間は、夫妻だけで完結するための空間ではなく、来客を迎える場所でもありました。
ヴォーリズは1905年(明治38年)、英語教師として近江八幡へやって来ました。
その後、建築設計だけでなく、医療、教育、出版などさまざまな事業に携わります。
1941年には日本国籍を取得し、一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と改名。
1964年(昭和39年)、近江八幡で亡くなりました。
現在のヴォーリズ記念館は、ヴォーリズの死後も満喜子さんが暮らし、その後、記念館として保存されたものです。
※建物や展示に関する情報は、公益財団法人近江兄弟社、近江八幡市等の公開資料をもとに確認していますが、資料による表記の違いや、その後の調査等により内容が変更されている場合があります。また、掲載写真は撮影当時のもので、現在の建物・展示内容・公開状況とは異なる場合があります。ヴォーリズ記念館の見学は事前予約制となっている場合がありますので、訪問の際は最新の公式情報をご確認ください。
