旧本多忠次邸(旧本多家住宅主屋)

2026年07月30日

旧本多家住宅主屋

今回は、岡崎市にある旧本多忠次邸のご紹介です。

赤褐色の瓦屋根に、やわらかな色合いの外壁。一見すると、昭和初期につくられたスパニッシュ様式の洋館ですが、この家には少し面白い成り立ちがあります。

 

建てられたのは1932年(昭和7年)。旧岡崎藩主本多家の子孫にあたる本多忠次さんが、東京・世田谷に建てた自邸でした。

そして忠次は、完成した家に住んだだけではありません。敷地を選ぶところから関わり、建築の基本設計も自ら手がけています。

当時36歳。学習院、東京帝国大学で学んだ忠次さんは、自分たちが暮らす家をつくるために調査と準備を重ね、約1年をかけて完成させました。

 

全体はスパニッシュ様式を基調としていますが、すべてが同じ様式でまとめられているわけではありません。

玄関の車寄せを見ると、そこにあるのは尖ったアーチ。

こちらにはテューダー様式が取り入れられています。

南側へ回ると、今度は三つのアーチが並ぶアーケードテラス

さらにその先には、壁から半円形に張り出したボウ・ウィンドウが2階まで続きます。

屋根、アーチ、張り出した窓。そして前庭には壁泉があります。よく見ると、吐水口になっているのはシャチのレリーフ。

 

その視線の先には、建物の妻部分にある獅子の飾りがあります。

シャチと獅子が向かい合うように配置されているという、ちょっと楽しい仕掛けです。

 

ところで、現在この建物があるのは岡崎。

建物は一度解体され、岡崎市へ移築・復原されました。

すべてを新しくつくり直したわけではなく、瓦やタイル、木材など、元の住宅で使われていた部材もできる限り再利用されています。

 

この家の面白さは外観だけではありません。

外から見ると洋風の住宅ですが、中へ入ると洋間だけでなく和室もあります。

ステンドグラス、モザイクタイル、照明、家具。さらに住宅としては少し意外な設備まで。

本多忠次さんが考えた家の中を、次回はもう少し細かく見ていきます。

 

※建物については、岡崎市等の公開資料を参考にしています。記載内容は資料および撮影時点の情報をもとにしており、その後の改修等により現在とは異なる場合があります。